梨の礫

写真を撮るのが好きです。

頂いた「間」


なにかないと、朝も起きれないタイプでして。


なにかっていうのは、目標とか目的とか。それだけで数年という面では狂気の沙汰に感じなくもありませんが。ポジティブに言い換えると、スイッチ入ったときの本気度まじやばいタイプだけど、中々入らないタイプ。


なんであんなエネルギッシュなのかと思いながら、なんて脱力と思いつつ。思わぬ感じで間をいただけたことを有難くも思いつつ、さてはてと。さてはて…はいつまで続くんだろうか。


抜けていた期間を振り返って、心境、変化に気付いて、内省って意味では両手で抱えきれないことを振り返ってと言う意味でさてはて…と。
新しくNEWな面で、読めんなぁと、さてはてと。


一番大切なのは自分の気持ちだったり考えなのかもしれないけれど、このはもうさてはてにすら行き着かず常時お手上げなので。一回捨ててしまったものをどうにかするのは、自分でどうこうでなくてやっぱり時間と経験しかないんだと思う。


こんなんで大丈夫かしらと一抹を不安がよぎらせながら、穏やかでも穏やかじゃなくても修羅場だなぁとシミジミと思う

焦ることとは違うこと


水木しげるさんの本を読む。
なにもかも焦って、それでも社会って結びつくものだから、なんとかなってきていて。ずっと間を持たずにきていて。それでも持ってこれたこと、自分自身を認めたい。
ただ、水木さんの読んでいると、焦らなくてもいいこと、受け止め方、色々あったなと。今までの受け止め方、焦り方、は、もういいかなって思っていて。
他に例えが思い浮かばないんだけど、人力車にエンジンつけたフリをして、うちだって最新型ですけどぉってやってたのと同じだわーってやっていたと思うと、とっても萎える。
自分自身と向き合うのが得意な人なんていないと思うけれど、私が一番苦手なのって自分自身で。だから「分からない」が宙に回ってんじゃねぇかこいつって勢いで分からないを連発しているこの手を黙らせたい勢いで困ってるんだけども。私自身がどうこうしたいと思っていても、分からないものは分からないわけで、切実に…。
分かったぶんを突き詰めたら、なんか、なんとかなっちゃって。
ただ、このへんは、人によって生きる速度とか成長とかバラバラだし、追い込んでも、なんとかはならないから、自分のスピードとかなるようにしかならないことを受け入れたい。

賞味期限

 

冷蔵庫の中にMYブドウジュースが入っておりまして。ふと思い出したときに、一杯ずつ飲んでいるのですが。

 

今日のは、ワインを甘くしたような味でして。ブドウジュースってこんな味だったかしら、買ったときってこんな味だったかしらと、考えを巡らせまして。4分の3飲んだところで賞味期限を確認しましたら過ぎていました。

 

気分が巡ってきたら食べるタイプでして。鈴カステラも同じ要領であたりました。このタイプに飲み物はあかんなと。

急変。

  風邪気味の喉の痛みと、花粉症の季節での症状と。体調に問題なし、さてと外出したのはいいものの、目的地手前で急変。

  目の前が真っ白になり、耳が聞こえなくなり、全身の感覚が薄れ、吐いてはいないけれど吐き気に襲われる。感覚がなくなる前の力の入れ具合を保って姿勢を維持する。意識が朦朧としており、このままでは吹っ飛ぶ確定アウトラインであったため体制を保てそうになかった。もたれかかっていたポールを両手で握り頭を着け、冷たさで意識を保つ。呼吸をするものの、肺ではなく胃に流れ込む感覚。

  満員電車。急行、目的地の1つ前の駅を出発し始めたタイミングで違和感。もう限界と、今はどのあたりだろうかと、横目で外を見る。光が強く、見えたのは人型のライン。少ない情報で、目的地付近だと判断し気力で乗り切る。
  到着、ドア出口目の前、柱壁で床に荷物を置いてしゃがむ。目と耳がある程度回復するのを待ち連絡をする。急激な暑さを感じ、全身から汗が吹き出し、着ていたものを一枚脱ぐ。少し様子をみて歩けそうな状態と思い、たぶんこっちにベンチがあるはずとよく分からない確信を持って移動し、予想通りベンチを発見して座る。急激な寒さを感じる。

 

  こういうのもヤバイっていうんだなって思った。しゅらば。

 

  目の前が白と黒両方体験することになるとは。原因に白黒つけられず、貧血かしらん。低血圧かしらん。なにかしらん。散文。

大ニュース

ツイッターにて、数年前にから頭に残っている呟きがある。「どんな内容でも自分にとっては大ニュース」だからツイートする、といった内容。私にとってはこのツイートじたい大ニュースだったのかもしれない。

琵琶酒

  琵琶の木にお礼を言った。ところを自宅の木戸から続いた外階段を登った所から、こっそりと祖母が見ていた。顔は笑っていた。そのときの私はわりかしトガッていたので、恥ずかしさで一杯になり悪態をついた。ギャップ萌えで祖母の顔が緩んだのは確実だと思う。


  私にしては珍しく、誰もいないと高を括っていたこともあったかとは思うけれど、「毎年ありがとう。美味しかったよ。来年も!」そんな内容をハッキリと口に出した記憶がある。幾年か後の秋頃に私は越したので、琵琶の木とは別れを告げることになるのだけれど。


  毎年大量に実がなっていて、味もわからない年頃であったからに、スーパーで売っていた琵琶の値段を目にした時は驚いた。給食で琵琶がでるときには少しばかり違和感を覚えた。琵琶を外であまり見てこなかったからか、家で食べるとき以外は違和感がつきまとった。それは今でも変わらずに、スーパーで売っているときには「買うものなのか」と、pkのときのGK的な心境になる。わかるかなぁ、これ。
美味しいんだよねえ、琵琶。味がわかる年頃になるころに、越す。こんな美味しかったんだを込めたお礼。祖母の話をと考えつつ琵琶の話。
今でも実をつけ続けていると考えてしまうと、やり切れなさが、少しだけこみ上げる。

 

  琵琶酒って美味しんだろうか。梅酒は趣味でやってたみたいだけど琵琶酒見なかったなぁ。うーん。

 

  たまたま居酒屋さんに居合わせた人かもしれないし、誰かも分からないけれど、琵琶酒美味しいとこ行って、誰かと飲もう。